はじめに(更新)

はじめに(平成27年6月22日更新版)

日が長くなり、早朝から日差しがまぶしい季節になってきました。
そして今日は夏至です。そして寛也の6回目の誕生日です。
私たちにとっては「はじめて子ども(寛也)が生まれた日」の記憶が蘇ってくる感慨深い季節でもあります。
寛也を保育施設における事故で亡くしてから、かれこれ4年以上の年月が経ちしました。
この間、本当にいろいろなことがありました。
寛也や保育事故に関することはもちろん、仕事のこと、日々の生活のこと。幸いなことに、新たな命を授かることもできました。
目の前のいろいろな物事に忙殺される中、これまでのことを振り返ることがなかなか出来ませんでしたが、
今日は久々に、「はじめに」を更新する形で、ここに雑感を記してみたいと思います。

まず、これまでの経緯について、簡単に列記してみます。

【我が子の事故検証を求める取り組み】
H22.10 保育所のおやつの食事中に意識不明の重体となる
H22.12 意識が戻らないまま、息を引き取る
H22.12~自身による保育所などへの聞き取り調査
H23.5 事故の公表(中日新聞に特集記事掲載)
    ※保育施設の最低基準(面積基準)の問題も指摘される
H23.7 厚労省を訪問(事故検証や最低基準の改善を意見交換)
H23.10 第三者委員会設置と事故検証を求める署名活動を開始
H23.10 最低基準(面積基準)の問題が全国ネットでTV報道される
     ⇒厚労省が最低基準を引き上げる(面積基準の明確化)
H24.2 愛知県知事に事故検証を求める要望書・署名を提出
H24.5 ⇒愛知県と碧南市による第三者委員会が設置される
H25.2 ⇒第三者委員会の報告書がとりまとめられ、公表される。
※報告書においては、事故の直接的原因(食事中の窒息)の検証にとどまらず、背景にある「最低基準」や「事故後の行政の対応」ついても指摘・提言がなされた。また、「事故発生時の速やかな事実確認」や「行政による重大事故の検証の制度化」の必要性が提言された。

【事故検証の制度化を求める取り組み】
H25.3 厚労省を訪問し、事故検証の制度化を求める要望書を提出
    ⇒厚労大臣が事故防止の検討を進めていくコメントを発表
H25.4~国の「子ども・子育て会議」において事故防止が議論される
H25.9 シンポジウム「保育事故を繰り返さないために」を主催
    ⇒以降、事故検証制度の必要性が新聞各社で取り上げられる
H26.4 厚労省を訪問し、事故検証の制度化を求める要望書を提出
H26.9 国が「重大事故の再発防止策に関する検討会」を設置
    ※栗並えみも委員として参加し、制度設計の検討に関わる
H26.12 ⇒検討会が中間とりまとめ(事故検証の制度化が示される)
H27.4 子ども・子育て支援新制度運用開始(事故報告の義務化)

こうしてみると、本当に様々なことがあったのだなと感じます。

事故直後から寛也が亡くなるまでの40日間は、とにかく寛也のことしか考えられませんでした。どうやったらこの小さな命を救うことができるのか、そのことで精一杯でした。残念ながら、寛也は再び目を覚ますことなく息を引き取り、私たちは深い悲しみに包まれました。

寛也の葬儀を終えて間もなく、保育所に出向いて説明を受けましたが「なぜ寛也は命を失うことになったのか」という疑問については、納得のいく回答が得られませんでした。
そして、帰宅して他の事故の事例などを調べるうちに「保育施設における事故を検証する制度は存在せず、遺族は何があったのか事実を知ることすらできない」という実態を知り、愕然としました。しかし同時に「事実を知らなければ、事故の再発防止はあり得ないではないか!」という思いを強く持ったことも覚えています。
そして、その思いはやがて「事故を検証して再発防止につなげることこそが、寛也のために私たちが出来ることであり、寛也の命を無駄にしない一番の方法である」という結論に至りました。

以来、「我が子の事故の検証に向けて出来ることは何でもやる」という日々が始まりました。自ら事故現場に出向いて保育士に聞き取り調査を行うことからはじまり、行政や関係機関と交渉したり、保育制度を勉強したり、専門家のヒアリングに行ったりと、検証の材料となる手がかりを得るために出来る限りの手を尽くしました。
一方で、寛也を亡くした悲しみのなか、こうした活動に時間を割くことについて、自分自身かなり抵抗を覚えたことも事実です。なぜなら、目の前の忙しさによって、寛也を亡くした悲しみさえも忘れていくように思えてならなかったからです。できることなら、せめて寛也と過ごした日々のことを忘れないように、静かに、穏やかに、悲しみを受け入れて毎日を過ごしたい。むしろその方が、寛也にとっても我々にとっても幸せなのではないか、という気持ちが心の片隅に常にありました。

はたしてどちらが良かったのか、その答えは今でも分かりません。
ただ、自らが動くことによって、事故が起こったことが社会に認知され、また社会的に事故の背景が明らかにされたことにより、寛也が亡くなったことを自分自身が素直に受け入れることができたこと、そして改めて前向きに生きていこうという気持ちを持つに至ったことは事実であり、そのことは良かったと感じています。

幸いなことに、我が子の場合は事故の検証が行われ、事故の原因や背景がある程度明らにされました。検証結果に100%満足はしていませんが、検証を通じて、当該保育所の安全環境の改善が図られるとともに、保育所の指導監督にあたる行政の意識・体制も強化されたことは、事故の再発防止に通じる大きな成果であったと実感しています。
こうした経験から、「重大事故の再発防止のためには、事故をきちんと検証し、その教訓を社会全体で共有することが必要である。」という思いを強くし、その後は、「保育施設において同じような事故が繰り返されることのないよう、重大事故の検証制度の確立を求めること」と目的に活動を継続しています。

この間、少しづつですが、社会がより良い方向に変わっていくことを実感できるようになりました。これは、私たちにとって思いがけないことでした。
「社会を変えることは、私たちの力では出来ないだろう。」「事故検証の制度化が必要だと思うけれど、そこまでの実現は無理だろう。」最初は、そう思っていました。
そのように思っていたことが、当事者が声を上げることにより、いつしか他の当事者とも連携し、いつしか同じ思いを持つ関係者を巻き込み、いつしか保育現場や行政が変わっていくのを目の当たりにし、「社会をより良い方向に変えていくことも可能なのだ。」ということが実感できるようになったのです。私たち自身、このことに大変驚くとともに、このことが現在の活動の励みにもなっています。

また、これまでの活動を通じて、かけがえのない多くの人たちに出会うことができました。私たちと同じような境遇にある遺族をはじめ、弁護士、報道関係者、行政関係者、保育関係者、専門家、政治家など、様々な人たちとの出会いが、私たちの心の支えとなり、私たちや関係者の気持ちを前向きに変え、社会をより良い方向に変えていく流れを生み出したのだと感じています。

今なお毎年、保育施設で多くの事故が発生し、かけがえのない多くの命が失われています。事故防止に向けた対策はまだまだ不十分であり、ようやく本格的な取り組みがはじまろうとしている段階です。
保育施設における死亡事故が無くなることを目指し、微力ながら私たちも引き続き活動していきたいと考えています。


はじめに(平成23年10月2日)

私たちは、息子の寛也を、認可保育園における事故で亡くしました。
平成22年10月29日、寛也は保育園における食事中に窒息状態となり、救急搬送されました。その後、40日間意識不明の状態が続き、12月7日息を引き取りました。

本件については、死因が医学的に明らかになっていないことに加え
・事故当時、保育士が食事の見守りを怠っていた
・「適切な見守りを行っていた」との園の虚偽の報告を市や県が看過していた
・待機児童問題を背景に、「詰め込み保育」が行われていた(最低基準違反が指摘されている)
・愛知県の最低基準(乳児室の面積:1.65㎡/人)は、東京都の最低基準(3.3㎡/人)の半分である
などの、様々な問題があることが新聞報道等で指摘されています。

しかし、事故から約1年が経過しましたが、未だに事故の原因究明すら行われていません。

息子を亡くした私たちの願いは、事故の再発防止です。 事故の再発防止に向けて必要なことは、事故の原因究明のはずです。今回の事故から教訓を学ばなければ、待機児童問題が深刻化している中、再び同じような事故が繰り返されるのではないでしょうか?

今回の事故やその背景にある様々な問題について、まずは多くの方に知ってもらいたいと思い、このブログを立ち上げました。この事故をきっかけに、保育環境や保育制度全般の問題点についても明らかにし、子どもの安心・安全が保障される社会の実現につなげてゆくことが大切であると考えています。
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テーマ : 保育園
ジャンル : 育児

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